夜、ほっしゃんが目をずっとこすっていました。
食べ物アレルギーがあったり、アトピーがあったり、何かと心配の多いほっしゃん。
かゆそうにしてるほっしゃんを見ると、またかゆいんだな…かわいそうだな…と毎回胸が締め付けられてしまう私。弱い母です。
「ほっしゃん、お目々かゆいの?目薬いれてあげようか?薬ぬってあげようか?」
「いやーーー!!!!!!!!」と逃げまくる…という繰り返しを何度かしていました。
特性もあって、薬とか、ほんとにほんとに大っ嫌いなほっしゃん。
泣き方とか、震え方とかみてたら、単なる“嫌だ~”とは次元が違うことをいつも感じます。
「マミー!!!かゆいよーーーーーー!」と泣きながらでやってきました。
しばらく抱きしめながら、自問自動しました。
ほっしゃんにとって嫌なことだけど目薬すべき?そんな嫌な思いまでしてする必要ない?
結果、ダンナを呼んで、ほっしゃん羽交い絞めにして、目薬いれました。
あまりのぎゃん泣きで、かわいそうで心折れましたが、ほっしゃんのためだと言い聞かせました。
いつもそうです。病院へ行くことも、薬をのまそうとすることも、もちろん元気になってほしいからするんですが、でもほんとに体を震わせ、大泣きで嫌がっているほっしゃんをみると、そこまでしてすることが正しいの?体は元気になっても、心に傷つけてるんちゃうか?と悩むのです。
まぁその時その時、最善はどっちだろう?と考えて、正解かわからず、何かを選択してやってきています。
目薬を入れ、ギャン泣きのあと、ベッドへ。ほっしゃん、また目がかゆくなってきてました。
そしたら、ほっしゃんが、「マミー―、神様にお願いしてーーーー」と半泣きで言いました。びっくりしました。
我が家はクリスチャンで、毎日ご飯前などお祈りしていますが、そうやって困った時にお祈りするっていう考えが、まさかほっしゃんの口からでてくるとは…。
きっと前小さい怪我したときに、ほっしゃんを抱きしめながら、神様にお祈りしたのを覚えていたのかな…。
ベッドで横になりながら、ほっしゃんのお目々をおさえて、お祈りしました。
「イエス様、どうかほっしゃんのお目々を癒してください。どうかほっしゃんの健康を守ってください。」
祈っているうちに、気持ちが入り込んで、たくさんお祈りしました。
いつもなかなか寝ないほっしゃんも、一瞬で寝ました。
私にとっては、本当にうれしい出来事でした。私は、人生で遭遇したつらいことは、神さまへの信仰で乗り越えてきました。「乗り越える」は語弊があるかも。乗り越えれなくても、踏ん張れたり、また人生を続けて歩もうと思えたのは、神様への信仰があったからです。だから、自分の子どもたちにも信仰をもってほしいな…と思っています。私が亡くなった親からもらった最大の財産は、信仰です。何もなくなっても、信仰さえあれば、また生きていける…と思っているからです。でもこればっかりは、強要するものではないし、私の信仰や生き方を見て、自然に子どもたちの心の中にも信仰がはぐくまれたらいいなぁと漠然と思っている感じです。だから、ほっしゃんが、「神様にお願いしてーーー」と泣きついてきたとき、何よりうれしかったです。
薬あげるかあげないかより、もっと大事なことあったやんって、ほっしゃんが思い出させてくれました。ほっしゃん大丈夫かな、かわいそうやな…と不安や心配でいっぱいだった私の心まで平安に満たされたので、このままおやすみなさい~。
トランプかバイデンか気になってしゃーないけれど、どうせ決まりなさそうなのでおやすみなさい~。
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