たまたま見つけたあるブログを読みました。
奥さんを癌で亡くした旦那さんのブログ。
父と母と兄を病気で亡くしているので、こういうブログを読むと、胸が苦しくなりすぎるのでいつもは避けているのですが、なぜかクリックしてしまいました。
亡くなられる数日前の闘病生活を振り返っておられました。
病院が、セデーション(鎮静剤を投与することで、意図的に患者の意識レベルを低下させ眠らせ、苦痛を感じさせなくすること)を勧めてきたとのこと。
でも、その時奥さんは苦痛を感じていなかったようで、なぜそれをしないといけないのか疑問に思われたそうです。薬で意識を無くしてしまえば、治療も看護もする必要がないし楽だと思ってたんじゃないかってその方は書かれていました。
もうほとんど会話ができない末期。一日のほとんどの時間眠っていたり、朦朧としている時期。でも時々意識がはっきりして、そういう時は普通に会話ができる。
私の母もそうだったから、ありありと想像できました。父も病気は違えど、会話が出来る時と出来ない時があったからよくわかりました。
結局この方は、この大切な大切な妻との会話を奪われてたまるか!とセデーションを拒否されたそうです(奥さんが苦痛を感じていなかったので)。
なんか思い出しました。父も最期数年は入院生活でした。完全に寝たきりで、体も動かせず、寝返りをうつことはおろか、自分の顔を掻くことも、何にもできませんでした。誤嚥性肺炎を繰り返していたので、食事や水分を口から取ることも禁止されていました。機能的には飲めるけれども、飲んだら危険だからダメという病院の判断でした。本当に本当に、ベッドで寝て、天井を見て過ごすだけの毎日でした。
しかも当時、父は脳の病気のせいで、幻覚(存在しないものが見える)や妄想(攻撃されているなどの信念)が時々ありました。だから体が動かず逃げることもできないのに、嫌なものが見えたりして、そういう時は、「助けてくれー!」って叫んだりすることもありました。手もうごかせないので、ナースコールを押せなかったので、代わりに「ナースさーん!」と大声で助けを求めたりしていました。(←知的で英語ペラペラだった父。病気になってもそこは残っていて、看護師さんをナースさーんと呼んでいて笑えました)
なんの楽しみもなく、ただ幻覚などに苦しむ父をみるのが本当につらくてつらくて、今思い出して書いていても胸がギューって締め付けられて痛くなります。私たち兄弟(私と妹と今は亡き兄)は、せめてそれぐらい…という思いで、毎日父の病院にお見舞いに行っていました。それぞれ仕事もしていたので、交代制にして誰かが顔を出すという感じです。
でも父の状態に波があったので、父と会話が出来る日と一切話せない日と色々でした。会話ができても、妄想だらけでへんてこなことを言っている父という日もありました。たまーに、普通の会話ができたときは、なんか本来の優しくて賢い父に出会えて、懐かしくてうれしくてたまらなかったなぁ。
そんなある日、病院から気管切開を提案されました。誤嚥性肺炎を繰り返すと命にかかわる問題だし、気管切開をすることで誤嚥性肺炎なるリスクを下げようと。可能性がゼロにはならないけど、確実に頻度は下がると。ただ、もう父は話せなくなると言われました。
私と妹と兄で話し合いました。すぐに結論が出ました。「NO」です。
もう「話す」ということしか父には残されていないのに、それを奪うことなんてできない。私たちと話す楽しみも奪えないし、幻覚がこわくて「助けてー!」ってことも言えなくなるなんてそんなひどいことできるわけない!せめてそんなことぐらい自由にさせてあげたいし。私たちだって、父とずっとずっと話してたい。それがたとえ一日一回だったとしても。
病院に答えを伝えた時は、簡単に言うと、「じゃ死んでもしりませんよ」という感じでした。
もちろんこれは結果論ですが、その後何年も何年も父は生き、最後も誤嚥性肺炎で亡くなっていません。
別に病院を非難するのが趣旨ではありません。ある方のブログを読んで、ふと思い出した話です。私は、父のことを通して、大切な大切な人の最期の過ごし方って、医学では決められないんだなと学びました。医学的には、そら命を守ることが優先されるんです。それが仕事だろうし。でも、そんな尊厳も、その人らしさも、その人の最後の力も、わがまま言う権利も、全部全部奪って、一日も長く生きることが大切なわけないんだと、最愛の家族の最期を何度も経験して思います。
この気管切開を勧めてきたのだって、日本中の人が知っている超有名な大学病院です。多くの人の命を救ってきた病院です。でも少なくとも、父が最期に父らしく過ごす方法は、私たちの方が知っていたんですよね。
なんかどこに着地したらいいのかわからず書き続けてきましたが、きっと今もどこかで、最愛の人の闘病を支えている人がたくさんおられます。ご本人やその人を支える方たちが、少しでも心癒される時間が増えますように。その方やご家族の権利を尊重し、命だけではなくその人らしさも守る、そんな医療がなされる国となりますように。
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