先日ある本を読んでいて、ハッとさせられました。
「…幼児へ成長していく過程で、子どもは自分や他人にさまざまな気持ちがあることを学びます。大人は、小さな子どもがニコニコすると、同じように頬笑みながら「気持ちいいね」「楽しいね」と伝えます。子どもが不快さを態度で表現すれば、同じように顔を曇らせながら、気持ちを察知して「悲しいんだね」「寂しかったのかな」と伝えます。(中略)
そして大人は「叩いちゃダメだよ」と行動の制限も教えます。泣いている子どもに「どうしてほしいのか言葉で言ってごらん」とうながしたりもします。こうして子どもは、行動を調整したり、自分の要求を周囲との関係の中でかなえることを学んでいくのです。」
ハッとさせられました。というのも、この本を読む前の週、保育園へお迎えに行った際、4日連続で、てんちゃん(1歳10ヶ月)がお友達を噛んじゃったと報告を受けました。4日連続ですよ。
先生はもちろん、てんちゃんや私を責める感じではなく、防ぎきれずすみませんという感じでご報告くださいました。
私も、まだ1歳で言葉を上手に使えないんだし、仕方ないことで、周りの大人が防ぐべきだという考えなのですが、さすがに4日連続報告うけると、親の責任みたいなのを感じてしまいました。
やっぱり、ダメなことはダメ!!ともっと強く教えないといけないのかな…私はやはり甘いんかな…と思いました。だって、いろんなところで耳にしてきたから。「ダメなことはダメ、危ないことは危ないと教えないとだめ」と。
だからその日から、家で噛みそうな場面をみると、わざとすごく怒った顔をして、大きめの声で、「てんちゃん、NO!!お口でガブッと噛むのはダメ!!No!!」と言うようにしました。それでも怒った直後に、噛みそうな場面を目撃したりして、その度、さらに声を強めて言うようにしました。
で、この本のこの箇所に出会いました。
ハッ。てんちゃんを怒る前にもっとすることあったやん。
てんちゃん、何が嫌だったの?何に困ったの?どうしてほしい?っていっぱい聞いてあげなあかんことあったやん・・・。
めちゃくちゃ反省して、今すぐてんちゃんを迎えに行って、抱きしめたい気持ちでいっぱいになりました。
その日から心を入れ替え、てんちゃんが噛みそうになったり、怒ったりしてたら、すぐに駆け寄って、「てんちゃんどうしたん?何が嫌やったん?」と聞くようにしました。
まだ言葉がうまく話せないてんちゃん。でも、ジェスチャーを使いながら、「○✖️?○✖️?!!!」と訴えかけてきます。その直前の場面をちゃんと観察していたら、そのジェスチャーだけで十分伝わってきます。
「そっかそっか。おもちゃ貸して欲しかったんやな。」
「そっかそっか。ドンッて押されたんやな」
「そっかそっか。てんちゃんもここに座りたかったんやな」
って返すと、「うんうんうん!!」と泣きながら同意してきます。
「そっか、嫌やったんやな。」
「じゃ、もっと面白いおもちゃ探しに行こう!」
「かーしーてーってお願いしてみよう!」
その後、一度も噛みました報告をうけていません。もちろん偶然かもしれません。これを今日書いて、明日報告されるかもしれません。
でも、子育てにおいて大切なことを気づかせてくれた本との出会いに感謝です。
そして思いました。「あ、親だから○○すべきだ」って感じて行動した時、たいてい間違った判断をする。なんかそれは、勝手に自分が作り出した変なプレッシャーというか、親である自分を悪く評価されることへの恐れに基づく行動で、そういう時は、1番大切な「子どもにとって大切なこと」という視点が抜けてしまう。
子育て、実に奥が深い。そして、謎ばかり。でもほんとに楽しい。
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引用文献:赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア:自分を愛する力を取り戻す〔心理教育〕の本

子どもの悪行にはそらガチでキレちゃうよね。こっちだって人間だもんね。親になったってまだまだ成長中の人間やもんね。それで当たり前やんね。 ・・・って受け止められたらどうでしょう?笑
あのぉ〜。親として人様にとかそういうことでなくて、単純に子供の悪行にガチギレする私はどうしたらいいでしょうか?もはや私が子供なのだと感じずにはいられないのですが。やっぱり末っ子で自由に育った私には親になってぐっと堪えてとかまじで無理なんです。。。