悲しみを乗り越えなくていい
- JaporiMama
- 2020年7月25日
- 読了時間: 2分
更新日:2020年7月25日
先日小林麻央さんの誕生日で、麻耶さんがブログに「これ以上悲しいことはもう人生で起きないことでしょう」って書いておられました。
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その翌日のブログでは、「生きていたら誕生日だね」という言葉に対して、麗禾ちゃんが「生きていなくても誕生日だよ」と答えていたことが紹介されていました。
そんな麗禾ちゃんの言葉に気付きを与えられた麻耶さんは、「亡くなってしまったことではなく生きていたことに思いを馳せる時間にしたい」と綴られていました。
このブログを読んで、わたしも久し振りに大泣きしました。病気で亡くなった両親のこと、病気で突然亡くなった兄のことを一気に考えました。自分の悲しみと、本当に勝手に想像した海老蔵さんの悲しみと、勝手に想像した麻耶さんの悲しみと、これまた勝手に想像した麗禾ちゃん・勸玄くんの悲しみで、心がいっぱいになり、キャパオーバーの悲しみの涙でした。
本当に愛しい人を亡くした悲しみは、時間では解決できないんだとわたしは学びました。ただ悲しみや寂しさと共に生きていくことに慣れていくだけ。でも、それでいいんだと思うんです。あんなに愛しい人がいないんだから、ずっと悲しくて、ずっと寂しくていいんです。愛しい人が生きていたのに、すぐそばにいなくなったんだから。その悲しみこそが、愛しい人が生きていた証。悲しみを乗り越えなくていいんだと思えた時、おかしなことだけど、少しだけ楽になりました。
私と亡くなった人との関係性は、亡くなったあの日で終わりではなくて、あの日からも育まれていっている。私はそう感じています。
私もよく、愛しい人が亡くなってしまったことに目を向けてしまいますが、生きていたことに思いを馳せたいなと麻耶さんに教えてもらいました。
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↑ ほんとそうやんね。生きる意味がわからないって思うほどつらかったし、また楽しみを味わいたいなんてさえ思わなかったけど、ちゃんと新たに沢山の幸せを経験させてもらえてる。それに、なんていうんやろう。亡くなった愛しい人との関係性は、絶対に何があっても消えなくて、誰にも奪われないっていうのが強さになると感じてます。
↑こんな風に書いたら万が一悲しみにくれてる最中の人に希望が無いから追記しときます。 悲しみが消えていくことはなくても、沢山の楽しいこともあるのも事実。悲しみに注目したらそこに悲しみはあるけれど、時にそれを凌駕する幸せもあるかと。 人間って強く無いけど、弱くも無いと思います。
ほんと悲しいのはかわらへん。「悲しみを乗り越える」必要なんてない。悲しいままでも生きていってるだけで十分。
泣いたわ。久しぶりに泣いた。 おっしゃる通り。 お父さんがいないこと、お母さんがいないこと、お兄ちゃんがいないことに慣れるだけで、悲しいのは変わらんよね。