桜が綺麗な季節になりましたね。
特に今日は快晴♪

綺麗な桜をみて心が和むと、必ず同時に思い出すことがあります。
今は亡き母の最期の桜。
あの年の4月は、母が亡くなるひと月前。
その年も、例年と同様に、桜の満開は訪れ、テレビでは桜情報が流れ、世間の人たちはお花見を楽しんでいました。
でも我が家は、お母さんの癌との闘病生活で、桜なんて見上げる余裕はなかった。時間的にも、精神的にも。
そんな時に、毎日往診をしてくださってたお医者さんが、桜の枝を一本持ってきてくださった。往診してる別の患者さんのおうちの庭に、立派な桜の木があって、ひと枝どうぞと言ってくださったとのこと。母のベッドサイドに飾りました。
母にはもう、外に出て、桜を見上げる元気は残されていませんでした。ドライブにでかけて、窓から桜を見るということさえも、過酷でした。今年は、お母さんとお花見することはできないな…と思っていた時に、先生の優しさで、お母さんとのお花見が実現しました。母との最期、この先生の優しさでどれほど救われたことか。本当に、病気だけを見ずに、その人全体をみて、尊厳ある人として関わってくださった先生でした。この先生がいたから、母との最期に悔いがないといっても過言ではないと思います。
そう、桜をみて思い出すこと。こんなに空が青くて、こんなに桜が綺麗でも、それを見上げることができない人たちが、今この瞬間にたくさんおられるということ。病気と闘う人、その人を支える家族や友人。今年桜を見れることは当たり前じゃない。今年桜を見上げる余裕のない人に、どうか慰めがありますように。病が癒やされますように。
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懐かしいな。 お父さんの病室にお兄ちゃんが桜の枝を持っていったことも私はめちゃくちゃ思い出す。 不器用なお兄ちゃんが大きな桜の枝と家から花瓶をもっていったこと。 みんな死んでしまったけどあたたかいあたたかい思い出しかないよな。