ほっしゃん(3歳)は超偏食。ある本を読んでいて、なるほど~と思ったので紹介します。
『感覚は慣れるものではなく、育てるもの』
「どういう刺激なら受け入れやすいか丁寧に見て、その刺激を与えてあげることが感覚を育てます。感覚は刺激を受け取って育ち、刺激を受け取ることで次の成長が出てくるんです。」
う~ん。わかったようなわからんような…。
先を読み進めました。
「味覚なんかはまさにそうですね。子どもから大人になるにつれ、受け入れられる味覚、おいしいと感じる味覚はだんだん広がっていきますよね。」
うんうん。で、具体的なことがここから書いてありました。
「白いものと長いものは食べる。うどんは食べる。ならお豆腐を長く切ってみると食べる。キュウリを長く切ってみると食べる。それで味を覚えたら今度はお豆腐を短かく切っても食べる。そういう風に、“今受け入れられる感覚”を見つけ、“受け入れられる感覚”を様子を見ながら増やしていく。それが“感覚を育てる”ということです。」
そして、「“今日、どの刺激なら受け入れられるか”をみられるのはいわゆる専門性をもった支援者でなく、日々の生活をみている親御さん」
なるほど~~~!ですよね。
でも、め・め・めんどくさい!
そう、めんどくさいんです。でもでもでも出来ないことはなさそうです。
うちは、偏食っ子あるあるフライドポテト大好きなので、早速キュウリをフライドポテト型に出してみました。
「いらないっ!」
はい、瞬殺でした。で
でもあきらめないよ!まずは近いものから。
さつまいもを、フライドポテト風に切ってみました。
「これ何?」
「ポテトだよ(←嘘ではない…笑 が、だまし討ちもよくないかなと思い言い直す)。さつまいもだよ」
めっちゃ警戒していましたが、ぱくっ!食べました!!!
輪切りのさつまいもおかずをお皿に置き、ガン無視れてきた過去が、走馬灯のように…。
あー、こういうことか〜。
我が家はまだ、うどん食べるからって→豆腐に挑戦というのはハードルが高いので、鶏の唐揚げを食べるので→鶏の味違いというのを試してみました。でもそれさえも無理でした。唐揚げと見た目が違ったら拒否だし、万が一ひと口入れても、べぇーと出してきました。
でも、「感覚は育てるもの」らしいので、毎日ではないけど、たまーに再挑戦。鶏の塩焼き、鶏のポン酢焼き、鶏の甘辛焼きと色々やってみるというのを繰り返しました。
ある日突然、「パクッ!」
べぇーっと出してくるかな…と横目でこっそり見てると…あ!食べた!!
泣くほど嬉しい瞬間です。たかが鶏のポン酢焼き食べただけですが。
そうやって少しずつ少しずつやってみたら、最近ようやく、鶏の味違いは比較的食べれるようになってきました。
結論だけをみたら、元々唐揚げとして食べていた「鶏」を、味を変えて食べただけなので、食べれる食材が増えたわけではありません。偏食という問題が、一向に改善してないように見えます。
でも、きっとこれが、味覚が広がる、感覚が育っているってことなんだなと理解しています。これをやっていくと、ふとまたある日突然、豆腐のポン酢焼きが食べれるようになる気がしています。
偏食に悩み始めた当初、毎日、これは食べるか、あれなら食べるかと、何品も何品も作り、全て拒否され、悲しみと不安と自責感と疲労感とで、食事の時間が近づくと憂鬱な気持ちになっていました。
でも今日何を食べるか、明日何を食べるのかをゴールにするのではなくて、もっともっと年単位で考えること。今日も明日も鶏肉でも、味付けが違えば、それは味覚が広がっていて、感覚が育っていて進歩なんだって知った時に、なんかすごくすごくしんどい気持ちから解放されました。
偏食で悩み始めた時、いろんな意見を受けました。
「お菓子あげすぎなんじゃない?」
「食事の時間が遅いんじゃない?」
「家族みんなで揃って食べることが大事なんじゃない?」
その意見はごもっともだし、間違ってないのに、どの意見も母の私が悪いんだと自責感でいっぱいになりました。
とても理解ある意見ももらいました。
「偏食は、特性のある子のあるあるだから。仕方ないよ。食べなくてもいいのよ。」
理解してもらってありがたかったんだけれど、じゃほっとくの?ほんまにほっといていいの?そんな母でいいの?っていう、なんか不安や苦しみから解放されない感がありました。
でも、感覚はゆっくりゆっくりゆっくりゆーーーっくり育てていくもんなんだって知れたとき、心のもやもやが消えました。
超偏食っ子のママの心が今日救われますように。
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ありがとう!
最高の文章ですね。感心!